理事長所信

2019年度鳥取青年会議所第61代理事長

2019年度 鳥取青年会議所 第61代理事長

生年月日 : 1981年3月29日
事業所 : 株式会社YD

鳥取青年会議所における履歴

2007年 福祉委員会委員
2008年 社会参画推進委員会委員
2009年 会員交流委員会委員
2010年 未来への光委員会委員
2011年 社会参画推進委員会委員
2012年 究極の田舎政策委員会委員
2013年 会員開発委員会副委員長
2014年 因幡のグリーン政策委員会
2015年 青少年育成委員会委員
2016年 会員拡大委員会委員長
2017年 未来創造特別会議副議長
2018年 専務理事

鳥取青年会議所発足から60年

公益社団法人鳥取青年会議所は2019年で発足から60年目を迎えます。1959年、経済白書の結びで「もはや戦後ではない」と記述された3年後、高度経済成長がまさに加速していく中、47人の志高き諸先輩方により全国で156番目の青年会議所として発足されました。因幡地域の明るい豊かな社会を目指し、変革の能動者であるとともに因幡地域の先頭に立ち、我々のまちを牽引して来られました。その後、バブルは崩壊し経済の低成長と度重なる社会問題による激動の30年間であり「失われた30年」とも表現される時代の中を私たちは活動し続け、今日に至っています。遠くを見据えることが難しい混沌とした時代局面を迎えています。ただ、戦後が今より問題が少なく解決が簡単であったわけでもありません。発足から60年たった今、私たちにできる事は何だろうと考えました。やはりそれは「明るい豊かな社会」の実現でしょう。現役である我々鳥取青年会議所メンバーは、改めて原点に立ち返り、青年らしい活発なリーダーシップをとり、未来という遠くを見据え、明るい豊かな社会実現に向けて活動していく事が必要だと考えます。

はじめに

1981年に生まれ、両親が商売人だったこともあり、何となくその背中を追い、26歳で起業しました。青年会議所の門を叩いたのは起業してちょうど半年くらいの事でした。当時の私は何の根拠もない自信に満ち溢れ、自分の行動全てに疑いを持つことなく、ただ自分の生き方に自己満足していました。

入会時の面接では「最近まちが良くなったと感じたことは何ですか」という質問に対し「賀露にジャスコが出来てよかったです」くらいしか答えられず、地域への意識も愛着も薄い若造でした。青年会議所活動においても自分の好き嫌いで参加し、自分と気が合うと感じれば出てみたり、興味ないと感じれば休んだり...。

そんな身勝手な私の行動や考え方を唯一全面的に否定し続けてくれたのは父親くらいでした。当時は、経営がなかなか上手くいかず奮闘しておりました。しかし仕事の中に父親の影響は薄く、一生懸命すれば失敗はあっても否定される事は無かったため、自分自身の存在感を大きく感じる事ができました。努力を重ねれば重ねるほど周りから必要とされ、喜んでもらえ...私にとって、それは自身の源であり幸せそのものでした。

何も考えず入会した青年会議所活動は価値を見出せず、その感情は近年までずっと変わらないままでした。そんな中でもここ数年役を頂くことがありました。それでも暫くは、仕事の延長線程度にしか捉えられず、やらされている感覚を引きずっていました。しかし、専務理事を受ける前後から、意識が自分事へと急激に変わり、ここへ立っています。

それは「自分を支えてくれている仲間と一緒に、安心して幸せに楽しく暮らしたいという願いと、青年会議所の描くビジョンが、実はつながっているのだ」と気づいたからでした。今まで37年間自分の好きなことをやり続けた先にたどり着いたのは「心を込めて公に尽くす」という事でした。きれいごとに聞こえるかもしれませんが今は本気で思っています。ここにいるメンバーのまさに英知と勇気と情熱を集結して、この国の未来を、因幡の地域から明るくしていきたいと思っています。

「遠慮すんなや」「やりたいことせえや」「責任は俺がとるがな」そんな懐の深い理事長を目指していこうと思っています。

創立60周年に向けて

青年会議所の運動は産・官・学・民とコミュニティを形成し、共存共栄を目指していく団体であります。政治、教育、経済、地域、スポーツ、環境など色々なカテゴリの事業を展開してきました。ここ10年間は「環光のまち因幡推進運動」として環境と経済が好循環するまちという目的を柱に3つの主軸事業を展開し、メンバーに希望を与えた運動ビジョンは一定の成果を上げたと考えます。

また、同時に会員拡大という大きな課題に取組んでまいりました。結果、100人を超える会勢を7年間継続し、中国地区内でも珍しく存在感は抜群です。数は力。多くの仲間と活動することが出来たのも諸先輩方のご尽力があったからです。

しかし拡大と継続ビジョンを定めたことの弊害があったことも事実です。運動ビジョン策定時の背景を知る先輩が一気に御卒業され、入会して間もないメンバーはなぜ事業を継続展開しているのか、変化させてはいけないのか、目的はどう見定めるべきなのか、運動ビジョンに対し理解が浅く混乱が生まれたことは現実です。そこで現役である私たちは、今改めて理解しておかなければなりません。運動ビジョン策定の当時、産・官・学・民と責任をもって連携するためには単年度の展開ではなく、継続性を持ち合わせた運動展開が必要だったという事を。

私は60周年という節目だから必ずしも新しい政策が必要ではなく、良いことは引き継いで実現していきたいと考えます。「社会参画」「国際交流」「地域コミュニティ」「因幡の魅力」この4つの柱は10年という月日だけではなく、発足から60年間という長い年月をかけ、少しずつ変化を遂げ、研ぎ澄まされた大切な柱ではないかと思うのです。それを根拠に、すべての政策は時代によって変わることのない必要不可欠な政策ではないでしょうか。この研ぎ澄まされた政策で明るい豊かな社会は十分に実現可能だと考えます。

今、私たちに求められているのは、これらの素晴らしい政策をもう一度、自分たちでかみ砕き60年間の積み重ねを固く信じ、やり遂げることです。

先輩たちの政策を受け継ぎ、全力で肯定し、未来を切り拓いていく...そうしたらどうでしょうか。「失われた30年」と思われていた30年は、実は「準備を重ねた30年」と言い直せるのではないでしょうか。時代の言葉を変えるくらいの若さとパワーで60周年という節目を駆け抜け、明るい豊かな社会を築いていきましょう。

創立60周年記念大会

60周年記念大会は、発足から60年間活動を継続されてこられた諸先輩方と来賓へ敬意を表すことが、現役である私たちの活動の原点となると考えています。敬意とは相手に対する尊敬の気持ちを示すという行動です。それはどんな時代でも一番大切であるにも関わらず、今一番疎かにしている事ではないでしょうか。なぜそれが出来ないのでしょうか。日本青年会議所会頭の言葉にもありました「生きることに満足したいなら自らの運命を愛そう。自らが愛した運命は、己の道となり、未来を切り拓いていく力へと柔軟な変化を遂げる」とあります。皆さんは自分の運命を愛せているでしょうか。それができていない限り、人を尊敬する事が出来ないと思います。それが出来て初めて万物に感謝することができ、公に尽くす青年会議所活動ができるのです。今心から敬意という言葉を飲み込むことが出来ないのであれば、今すぐ自分の運命を愛する行動をしてください。その気持ちは必ず60周年記念大会という大切な節目で、我々現役メンバーから諸先輩方や来賓の方々へ必ず伝わります。大会成功へ向け我々1人ひとりが主役となり邁進し、諸先輩方、開催当日には来賓の皆様を尊敬の心と最大限の感謝で迎えましょう。

シンボル事業の確立へ

先ほども触れましたが、今後も継続的な活動の必要性を感じています。60周年記念大会を迎える年度は「今後、鳥取青年会議所はどうあるべきか」を捉え直す好機としたいと思います。

それでは、どんな会にしたいのか、と問われたら...、私は、例えばドラゴンボールのシェンロンやドラえもんの様な団体にしたいと思っています。

ある日若者とこんな話をしました。「私仕事5年間一回も休まずに働いているのですよ」と若者。「へえ真面目だなあ。稼いだお金何に使うの」と尋ねると、「貯金している」って答える。「なんで」と質問すると、「お金持っていると安心だから」と。今はお金に安心を求める社会だなって感じました。

しかし昨年、マカオのバスガイドさんから、こんな話を聞きました。マカオは、人口61万人で、毎日カジノでとんでもない税収があって、ゲーミング税が年間1兆2343億円あると。ちなみに鳥取県税収は524億円です。マカオは儲かっています。街はきらびやかで、インフラも整備され、教育については幼稚園から中学3年まで10年間無料です。市民に毎年10万円相当の現金給付もあります。「でも身内でも裏切ります、友達なんかも信用できません。そんなのが幸せですか?」と彼は言っていました。

あれ、お金があれば安心な社会のはず...ですが実際は違いました。お金に安心を求める社会じゃなく「人に安心を求める社会」にしなければならない。それは日本の、鳥取の、ここにいるJCメンバーの使命だろうと考えます。

また最近こんなことがありました。少年少女国連大使の面接会で、中学二年生の女の子が、「世界中の子供に平等な教育が行き届く世の中にしたい」と言っていました。立派な発想だと思いました。世の中も捨てたものじゃないなと本気で思いました。私は「国連大使に選ばれなくても、やりたいことあったら言ってきんさいな、おっちゃんたちが叶えるがな」とついつい言ってしまいました。

つまるところ「明るい豊かな社会」とは、そんな純粋な思いに対して、叶えてくれるドラえもんやシェンロンの様な存在がいる事じゃないでしょうか。シェンロンが「仕事が忙しくて出てこられない」ドラえもんが「お金がないから道具が出せん」と言いますか?「言わんよね」と、私は思うのです。街から、「夢」の声を聴いて、拾い上げて、それを全力でバックアップするような団体があれば、この鳥取に夢はあり続け、青年会議所が目指すところの「明るい豊かな社会」が実現するだろうと思う。それでこそ、この団体は、常にあり続けてほしい団体になるだろう...。55年続く「若草」の事業のように、自分の利益そっちのけでただただ人の笑顔のために尽くす。そんなこれから60年...100年続くような、シンボル事業を確立したいと考えます。

参画型事業の推進

さて、事業を「確立」するには、産・官・学・民の皆様に「自分事」として感じ、「参画」して頂くことが大切だと考えます。嵐も言っていました「曲が出来てCDを発売することが完成ではなくて、ファンの皆が歌を共感しコンサートで一体となった時が曲の完成です」私たちの事業もそうです。理事会通して、事業を開催する事が、事業の終着点ではないのです。

私が今まで見てきた事業では、参画ではなく参加という意識のほうがまだまだ強いと感じています。

これから事業構築のプロセスで変えていくべきは、「計画を完成に近づけた後、参加して頂く」というスタンスを「計画時から外部に協力を得てより広い視野で共に事業を組み立てていく」というスタンスにしていく事です。

漠然とした状態にも関わらず協力を得ながら計画を組み立て、ゴールへと進む。この行動は、人生において一番難しいことです。しかし、素直にできる人こそが未知の可能性を切り拓くリーダーへと成長していくのです。

そんなリーダーへ成長を目指した個が集まり能動的な活動ができる組織へと変革していく。それが青年会議所活動の根底であり、「JCI Mission」の示す所だと考えます。

そして、会議所内外への参画意識を醸成する上で欠かせないのがICTです。携帯電話の進化に伴いSNSでいつでも誰とでも、コミュニケーションがとれる時代となりました。インターネット経由でビジネスに特化されたクラウドファンディングなども現代へ広がりが見えます。これらは青年会議所のまちづくりを広く社会へ推進していく上で、活用していくべき技術でありヒントでもあります。

うまく活用すると、「インターネット経由でコミュニケーションをとり、共感を呼び、他人事から自分事へ意識を変えていく手段」となります。

この先端通信技術を活用し、関係する人々を、「ただの参加者」で終わることなく他人事から自分事へ変化させ、運動へと発展させていく事が出来ると考えます。

活動をよりグローバルへ

鳥取の人口は、心配しても対策しても減少します。身近な地域のことだけ考えていたのでは、世界から取り残され、「明るい豊かな社会」実現は、立ち行かなくなっていきます。JC宣言文の中に社会の公共性とありますが、社会とは因幡地域の事だけではありません。もちろん日本だけでもありません。今後の活動は世界から取り残されることを防ぎ、グローバルな考え方を培っていく為にも、行動範囲を大きく、そして視野をより広くしていく必要があります。

青年会議所は世界で 16 万人の会員数を誇り、アジア太平洋地域だけでも 10 万人の会員数を持つ団体です。外国人就労者登用も鳥取で現実に行われている時代です。私たちもJCIという組織を生かし、日本とアジア諸外国とのコミュニティを形成することでグローバルを推進していかなければなりません。

2050年には、世界人口90億人に対して、75億人分の食糧しかない時代になると言われています。放っておいたら戦争に発展し、他人事じゃすまされない状況になります。JCI ミッションに「世界中の青年に対し、様々な分野において、積極的に活動できる多くの機会を提供することで、ひいては青年がそれぞれの地域、国家、世界において変革をもたらし、この地球市民社会に寄与する」とあります。今の私たちには背伸びした内容ですが、私たちの目指すべき方向性もここにあるのです。このミッション共有し、世界のメンバーと共に一歩でも近づく努力が必要なのです。

地域と日本の暮らしだけ考えていたら、世界の発展はなく、結局自分の首を絞めることになります。グローバルというと難しく聞こえるけどSDGs「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」という国連が掲げた目標があります。先ほど紹介した中学二年生の女の子が言った「質の高い教育をみんなに」ということもこの中にあることです。日本では当たり前のことが、世界では当たり前とは限らないのです。

私が言いたい事は簡単です「せっかくJCにいるのだから世界に友達つくっていこう、その友達のためにできることからやっていこうぜ」ということです。

結びに

「未知の可能性を切り拓く」と、毎度唱和していますが「未知」とは、分からないということです。分からなかったら、分かる人に聞いたら良いのです。また、「未知」とは、はみ出すことです。はみ出さなかったら、知っている範囲で活動しているに過ぎないですよね。はみ出すこととは、可能性を信じて、否定されても戦うことですよね。はみ出さずに正しく活動するのは、私たちの使命ではないと考えます。

よく「エビデンス(根拠)は?」と問われるシーンがありますが、その人の主張以上に根拠を示せというのは、その人を否定しているように聞こえることがあります。「お前よりよくしっている奴から根拠とってこい」と、相手を信じていないように感じることがあるのです。

けれど、「未知」の世界に挑むのに、エビデンスがどこまで通用するか、と言ったら、それこそ「未知」です。そんな時に、エビデンスを並べて安心しとったら、「こんなんだったら納得するだろ」と、うわべだけで終ることになりはしないでしょうか。エビデンスがないと走りだせんようじゃ、いつまでも未来を切り拓くことはできないでしょう。

私は、言いたい...「未知の世界に挑む時、自分を信じんでどうするだいや、根拠はお前自身だがな。お前を育てた親、大切な友人、その人たちの喜ぶ顔を思い描いて、どうしたら良いか、心で感じて、人と話して、考えて考えて、そうして良いと思ったことを実行していく。そんな風にして手に入れる未来にこそ、価値があるんじゃないか。そんな風に、はみ出すために、1人ではできんことを実現するために、仲間っちゅうもんが必要なんじゃないか。数は力だ、というのは、まさにこの事だろう。

ここに120人います。親も育った環境も、職種も違う120人がいます。すごいことじゃないですか。この120人が、自分の心、人生をしっかりと見つめ、自信をもって、正直な心で公に尽くそうと思ったなら、何でもできるだろうと強く思います。

最後に、田中角栄の言葉を借りて、宣言します。

私が、来年度理事長を務めさせていただく、奥田真悟だ。諸君は日本中の精鋭代表であり、各業界の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか、未来を切り拓くコツを知っている。一緒に未知の可能性を切り拓くには、互いによく知り合うことが大切だ。我と思わん者は誰でも遠慮なく言ってくれ。誰かの許可を得る必要はない。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの奥田真悟が背負う。

自分のっこをしっかりつかみ、自信をもち、正しい心でに尽くそうじゃないか。以上

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